藤岡 大拙 出雲つれづれ草

リセット人間

 人間というものは、社会のなかで集団で生活しているいじょう、自分一人の勝手気ままな考えや行動は許されない。この原則は長い人類の歴史のなかで、当然の規範として厳然として維持されてきた。それが今ごろになっておかしくなってきた。勝手気ままな考え方が横行し、それに基づく行動が目にあまる。
 およそ人たるものは、自分の考え方や行動の結果、何が起こるかを想定することによって、事前にブレーキをかけるものである。たとえば、クルマを猛スピードで飛ばすとしよう。想定されることは、警官に捕まって罰金をとられ、減点となるかもしれない。あるいは、衝突して怪我をさせ、最悪、死にいたらしめるかもしれない。有罪、刑務所入り、不名誉、世間の悪評等々が予想される。そこで昔の人ならば、事前にブレーキをかけたものである。万事、このような調子で人間社会は秩序が保たれていたのである。
 ところが、最近の日本人のなかにはブレーキをかけない者が多くなった。ブレーキをかける前に行動してしまうのである。いわゆるキレの現象。キレている状態では、有罪も服役も、世間体も、以後の人生のことも、頭の中に登場しない。だから大それたことをしでかしてしまう。後でいくら泣いても後悔しても、もはや元にはもどれない。ゼロからの出直しを認めるほど、世間は甘くないのだ。なぜ、結果を想定してから物事を行おうとしないのか。つまり、こうしたらこうなる、という方程式を解こうとしないのである。
 一般にこんな人々をリセット人間というそうだ。巷(ちまた)にあふれるデジタル機器では、駄目だ、失敗したと思えば、リセットボタンを押せば元にもどる。そして、また初めからやり直せばいい。人生でも、失敗した、取り返しのつかぬことをしてしまったと気づいたら、リセットボタンを押せばいいと思っているらしい。どっこい、人生はそう簡単には元にもどらないのだ。
 そこで、世間体を気にし、自分の考えや行動の結果に細心の注意をはらうようなアナログ人間が必要になってくる。つまり、人生経験の豊富な、とりわけ人間関係のしがらみのなかで生きてきた人間が必要になってくるのである。
 兼好法師は聞きにくく見苦しいこととして「老人(おいびと)の若き人に交はりて、興(きょう)あらんと物言ひゐたる」(第113段)と記している。つまり、年寄りは若い者のなかに入って、ご機嫌とりなどするものではない、というのだ。
 しかし、兼好法師の室町時代ならいざしらず、現代のように処世の方程式を知らない人々の多い社会では、方程式の解き方を知っている年寄りが出かけて教えなければ、世の中は一体どげなーますだらか。


  

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