お茶と健康

日本のお茶の歴史-2「御茶壷道中」

 今回は前回に続き、江戸時代初期頃の日本のお茶の歴史の一編を見てみましょう。
織田信長などの戦国武将は「茶が万病の薬」であることに気づき、武将の為の戦の重要な飲み物として「お茶」を大切に扱い、それが更に発展し利休や文化に造詣のある武士たちが茶道という作法を作り、「お茶」を権威付けていきました。
 そして江戸時代には鎖国という特殊な環境から、益々日本文化の頂点として、「お茶」が花開いていきます。
 江戸初期の1632年(寛永)に将軍家光は「御茶壷道中」を始めます。この頃の時代は前に書きましたように、「お茶」は武将の為の重要な飲み物で、武士以外の人は特別な事が無い限り、お茶を飲む事は出来ませんでした。つまり「お茶」はお殿様だけの飲み物だったのです。
 その「御茶壷道中」ですが、何がビッグな事件だと言うと、この「御茶壷道中」によって、「お茶」に「大名行列」と同じ権威付けをした事でした。つまり、大名でもないのに一般庶民は御茶壷に頭を下げ、一度抜かれれば二度と追い越せない事になってしまいました。
 これには庶民は大変不満だったようです。皆さんもご存知のわらべ歌に残っていますが、「茶壷に追われてどっぴんしゃん」というフレーズはこの「御茶壷道中」を皮肉った一般庶民の抗議の歌です。
 また新茶(4月、5月)時期と夏あけて秋に入る(9月、10月;俗に言う「口切の時期」)時期には大変多くの「御茶壷道中」が動いたようで、交通機関はこの時期大変混乱したようです。実際徳川家はもちろん各外様大名の元にも茶壷は行きますし、江戸に人質としてとられていたぞれぞれの大名屋敷にもこの「御茶壷道中」が動いていました。数は相当なものでした。
 そうしますと、やはり「御茶壷道中」を管理・運営する部門が必要となります。
 そこで、お殿様ご用達の「茶屋」が任命されます。「一保堂」「上林」「永谷園」「山本山」等がそのお茶屋でした。ちなみに一般庶民はお茶は飲む事が出来ませんでしたので私たちのような「お茶屋」は江戸次第の末期までは存在していません。かれらは特殊な「お殿様専用のお茶の品質管理と受注・輸送」の為の「お茶屋」でした。(皆さんの中に「あれ!」と思われた方もあると思います。そうです。「永谷園」はあのインスタント「お茶漬け海苔」「マーボ豆腐」等の有名な会社の前身です。「山本山」は「お茶と海苔」の「山本山」です。)江戸時代は今度は茶人に代わって、これらの特殊なお茶屋がお茶の発展に関与していきます。これについては次の機会にお話いたします。
 今回は「御茶壷道中」の話だけで終わってしまいました。健康について書けませんでしたが、お殿様が独占したくらい、お茶は当時も今も「万病の薬」、体に良い飲み物であるのです。

(有)中村茶舗 中村寿男


 おいらくネットホームへ戻る 
お茶と健康インデックスへ